2021年 年頭挨拶を行いました。
2021年1月12日(火)
もう12日ですので,「寒中お見舞い申し上げます」ですね。4日に各課等をほぼ回り,驚かれましたが,年始のご挨拶はさせていただきました。昨年はコロナ禍の中,大変お世話になりました。本年もご苦労をおかけしますが,引き続きよろしくお願いいたします。
初の大学入学共通テストを今週末に控え,ご多用の中,こんなにも集まっていただき申し訳ありません。年頭にあたり少しお話をさせていただきます。
ここに元旦にもらった1枚の年賀状があります。
今年40歳になる私のゼミで卒論を書き,卒業した方からの年賀状です。右下には,家族4人の記念写真,左上には,5歳と2歳のお嬢さんが着物姿の写真です。ほほえましい光景です。
その下に手書きでこう書かれていました。
「中3の学年主任,楽しくやらせてもらっています。教師になってよかったと改めて思う1年です!」 中3の学年主任「楽しく」とは書かれていますが,きっと大変なことと思います。
しかし,「教師になってよかったと改めて思う1年」だというのです。私は,嬉しくなりました。
彼は,私が理科教育領域の卒論を担当する第1期生でした。それまで4年間は幼児教育領域の卒論指導のお手伝いをしていましたが,真面目な女子学生ばかりでしたので,それほど手はかかりませんでした。彼が初の男子学生のゼミ生です。なかなか卒論は進まず私も手を焼いていました。彼は,学科では人気者でしたが,進路は迷っている様子で,採用試験の勉強はほとんどせぬまま受験したと思います。案の定4人のゼミ生のうち彼だけ不合格でした。その後も定まらず,ぎりぎりの卒論で卒業し,常勤講師をすることになりました。心配でしたので,5月7日の彼の誕生日を狙って,勤務校を訪問しました。校長先生は初対面でしたが,のちに尾張地区の校長会会長,校長退職後は本学教職大学院特任教授,今は稲沢市教育委員会教育長です。彼が引き合わせてくれた縁です。その後,懇意にさせていただいております。
彼の教室に行くと,5年生でしたが,ホームルーム中でした。驚いたような顔をしましたが,続けました。明日の持ち物を連絡していました。彼が最後にこう言いました。「分かった明日持ってくるもの,もう一つ忘れちゃいけないのは???」,子どもたちから「『やる気』」と反応があり,彼は「そのとおり」と言って結んでいました。学級の雰囲気はよく,うまく立ち上げたなと安心して帰ってきました。しかし,その年の採用試験も十分な準備ができなかったのか残念ながら不合格でした。1年を通して担任をしてようやく目覚めたようで,本気になり,3回目の挑戦で合格しました。
しかし,再び悩み,1度目の転勤の時期に,広域派遣を希望し,三河の佐久島に住み込みで着任しました。ゼミ合宿を兼ねて彼の後輩である私のゼミの学生を連れて行きました。中学校の総合の授業を見せてもらいました。子供をひきつけ授業をする力は磨かれていました。島の住民にも溶け込み,ここでも人気者でした。3年の任期を終え,帰りにはこの年賀状にある奥様,佐久島中学校の養護教諭さんでしたが,連れ帰ってきた訳です。彼は,佐久島で教育の原点を見つめ直し,その後は,迷うことなく教師の道を邁進したようです。その象徴が先の言葉だったと思います。
学生時には,教師になろうかどうしようか悩み,なってからもこれでよいのか迷う,そんなものではないでしょうか。そんな時,私たちは,それぞれの立場で,寄り添えるような存在でありたいと再認識した次第です。
「この大学に入学してよかった,この先生,あの事務職員さんに出会えてよかった」と学生?卒業生が感じるような大学にしていきたいと思います。
さて,学長に立候補した時から,目指す運営体制として「対話」「協働」「効率」「発信」を掲げました。4月に就任以来,コロナ禍の中ですが,心掛けてきたつもりではいます。皆様の評価はどうでしょうか。気になるところです。全学的にみると,うまくいっている部分もあれば,まだまだの箇所もあると思います。「トップはぶれてはいけない」と昨年の年賀状に私が名古屋市の教員であった頃のある先輩からお言葉をいただきましたが,かなりぶれてしまったこともあったと反省しています。4月から2年目に入ります。真価が問われる時期になると思います。第3期の締めと,いよいよ第4期の中期計画?中期目標を策定しなければなりません。皆様と共に,着実に歩みを進めたいと思います。 どうぞよろしくお願いいたします。
以上で年頭の挨拶とします。
ありがとうございました。